アディダスの話
小学生の頃からアディダスが好きでして
中学生のころにはサッカーのバッグがら
スパイクまで全部アディダスで揃えました
理由は3ストライプがシンプルでカッコイイのと
ロゴが角ばってて惹かれるデザインだからです
サッカーをやめて10年以上経つ今でも
運動着はもちろんスニーカーや
Tシャツなんかもついついアディダスに
手を出してしまいます
このブランド、意外とびっくりな歴史があって
面白いんですよね
ちょっとご紹介いたします
ドイツの靴職人の息子として生まれた兄弟
アドルフ・ダスラーとルドルフ・ダスラーが
1924年に靴の製造会社を設立します
スポーツに特化したシューズ作りで
1925年のベルリンオリンピック等の効果もあり
盛況となっていきます
戦争で一時中断していたものの
戦後まもなく事業を再開
ところが2人の意見が次第に合わなくなり
強めの喧嘩を経てやがてこの会社を解消します
そして1948年にお互いがそれぞれ独立し
弟のアドルフは自分のアディという愛称を使って
「ADIDAS」という会社を
兄のルドルフは「RUDE」という会社を設立します
なんとこの「RUDE」という会社が後の
「PUMA」になるんですね
そして1965年にテニスシューズの
後に「スタンスミス」となる「ハイレット」を発売
1972年にはフレディマーキュリーが
履いてるヤツでお馴染み(?)の
「カントリー」が発売されるなど
その人気と知名度を確実なものとしていきます
その後アディダスの経営権はダスラー家から
離れることとなりますが
ナイキに次ぐ業界2番手の位置をキープし
2005年にはリーボック社を傘下とします
とてもざっくりですが歴史はこんな感じ
兄弟が独立してからも
デザインやら標商の問題で互いを訴えあうなど
町ではかなり有名な出来事だったそうで
町民もお互いの靴のブランドを確認しないと
会話が始まらないほどピリついていたそう
(その仕草ゆえに「首を傾げた町」という
異名までついていたらしい。ホンマでっか)
2人が亡くなる1970年までその確執は
埋まらず2人のお墓の間にも
大きな溝が彫られていたそうです
その後も両ブランドの抗争は続きましたが
2009年に両社員同士の交友を目的とする
サッカーの親善試合が行われ
長きにわたる抗争に終止符が打たれたそうだ
そんなこともあり
私自信もアディダス派として
リーボックはアリ、もちろんナイキはナシ
プーマはどうしようかという
無駄な悩みを抱えているここ10年ほどです
まぁ上のブランドに比べると
スニーカーのバリエーションも多くないので
揺らぐこともないんですけどもね
ちなみにフットサルシューズは
ミズノです
おわり